学生の頃から続けていたダンス。
けれど、その頃から痛めていた股関節が、最近になって悲鳴を上げ始めている。
騙し騙し続けてきたけれど、もうごまかしがきかなくなっていた。
そんな私を見て、母が言った。
「いい加減、病院行くよ。明日予約取ったから、出かけたりしないでね。」
……いや、ありがたいことではあるけれど、相変わらず私の予定を考えずに決めてくるな。
仕方ない。明日は重い腰を上げて病院に行きますか。
はぁ、憂鬱だ。病院は子どもの頃からどうも苦手だ。
当日、母に連れられて病院へやってきた。
地元ではそれなりに知られた、大きめの総合病院だ。
できれば女性の先生がいいな、なんて思っていたら、母がテキパキと受付の手続きを進めていく。
……私ももう子どもじゃないんだけどな。
「はい、問診票は自分で書いてね。」
母から渡された問診票に、最近の症状や既往歴を書き込む。
書き終えたところで、母はそのまま受付へ持っていった。
なにやら受付の看護師さんと話し込んでいるけれど、まぁ、なるようになるだろう。
そして待合室で名前が呼ばれる。
やっぱり母も一緒に行くようだ。
過保護もほどほどにしてほしいな。
診察室に入ると、中には堅くて真面目そうな男性の医師がいた。
「本日はどうなされましたか?」
問診票には目を通しているようだが、本人の口から聞きたいらしい。
「それがですね――」
また母がしゃべり出した。
私の体のことなんだけどな……。
そう思っていたところで、先生が穏やかに口を開いた。
「申し訳ありませんが、本人の口から症状を聞かせてください。他人からはわからないこともありますからね。」
母をやんわりと制止してくれた。
その瞬間、心のもやもやが少し晴れた気がした。
きっとこの先生は、患者のことをよく考えてくれる人なんだ。
それからは、ほとんど二人きりのような空気で話した。
ダンスを続けていたこと。
その頃から股関節の痛みを抱えていたこと。
「わかりました。では一度、レントゲンを撮ってみましょう。」
「はい。」
久しぶりに素直な返事ができた気がした。
私は立ち上がり、看護師さんに促されてレントゲン室へ向かおうとした。
その時だった。
「ちょっと待ってください。今、後ろ姿を見たら背中もゆがんでいるように見えます。着替え終わったら確認しますので、こちらに一度戻ってきてください。」
……少し不安になる。
「大丈夫ですよ。では、こちらで着替えをお願いします。」
優しい笑顔でそう言いながら、看護師さんにレントゲン室の横にある更衣室のような部屋に案内された。
「今回は全身のレントゲンを撮りますので、上下とも着替えてください。ブラジャーはワイヤーが入っていますか?」
「あ、はい、入っていると思います。」
しまった。スポブラで来るべきだったか……。
「では、そちらも外してください。終わったら先ほどの診察室にもう一度案内しますね。」
小さなミスに、思わずため息が漏れる。
けれどお医者さんを待たせるのはよくない。
急いで着替えようと渡された服を見ると――
「うそ……こんなに薄いシャツなの? 下も薄めのパンツだし……。」
上は無地の、白くて薄いシャツ。
下はパンツのラインが透けそうな薄手のズボン。
着替えてみて、思わずつぶやく。
「これ、さきっちょ透けていないかな……。」
あまりにも頼りない布の感触に、思わずうろたえてしまった。
あまりにも心もとない胸元に、思わず少し猫背になりながら更衣室を出た。
すぐ隣のレントゲン室ではなく、一度診察室に戻らなければならないらしい。
更衣室と診察室のあいだは中待合室になっていて、診察を待つ人が数人座っていた。
……その中には、男性の姿もある。
どうか私を見ないで。
そう願いながらも、視線を感じてしまう。
胸元を腕で隠し、看護師さんの後ろをこそこそとついていった。
自意識過剰かもしれないけれど、恥ずかしいものは恥ずかしい。
やっと診察室にたどり着く。
「では、そこの壁の前に立ってください。」
お医者さんに言われ、顔を上げる。
指示された場所は、他の白い壁と違って淡い緑色をしていた。
「そこは歪みがわかりやすいんですよ。」
私の疑問を汲んだように、看護師さんがやさしく補足してくれる。
名札を見ると“渡辺”と書かれていた。
私より少し年上くらいの、落ち着いた雰囲気の人だ。
――男だったら惚れてたな。
そんなことを思いながら、壁の前に立つ。
けれど、どうしても胸元が気になって猫背になってしまう。
「はい、手は横にして、まっすぐ立ってください。」
先生が真面目な表情でこちらを見つめていた。
恥ずかしいなんて言っていられない。
そっと胸元で組んでいた腕を下ろし、ぴしっと立つ。
願わくば、先っぽは目立たないように。
「はい、次は後ろを向いて、同じように立ってください。」
――よかった。背中側なら恥ずかしくない。
「……やはり背中も歪んでいますね。渡辺さん、正面と背中側の写真を撮っておいてください。」
え? 写真? 写真撮られるの?
「あの……写真を撮るんですか?」
おずおずと尋ねると、先生が穏やかにうなずいた。
「はい、治療の記録のために撮影させてください。安心してください、首から下の写真です。もちろんプライバシーの問題もありますので、嫌でしたら無理にとは言いません。」
私を安心させるように、先生は優しい笑顔を向けてくれた。
――この先生は、きっと信頼できる。
「いえ、大丈夫です。撮影、お願いします。」
「ありがとうございます。」
撮影は滞りなく進んだ。
看護師の渡辺さんも、私にずいぶん気を遣ってくれていた。
ありがたいやら、申し訳ないやら――そんな気持ちだった。
続いてレントゲン撮影になる。
もう一度、レントゲン室へ向かうには中待合室を通らなければならない。
「胸元、気になりますよね。これ、使ってください。」
渡辺さんがそっとクリップボードを差し出した。
「これなら自然に隠せるから、少しは恥ずかしくないですよ。」
――白衣の天使はここにいた。
クリップボードで胸元を隠し、先ほどよりは少し堂々とレントゲン室へ向かう。
「ここからはレントゲンの技師さんが中にいますので、そちらの指示に従ってくださいね。」
渡辺さんが笑顔で扉を開けてくれた。
中にいたのは、渡辺さんと同じくらいの年齢だろうか。
そこそこ整った顔立ちの男性だった。
「吉田です。本日はよろしくお願いします。」
さわやかな笑顔を見せながら話しかけてくる。
……こんな無防備な状態で会いたくなかった。そう思った。
「まずは上半身ですね。こちらに立って、胸をぴったり当ててください。」
よく見るタイプのレントゲンだ。
“胸をぴったり”と言うことは――シャツを脱ぐのかな?
何を血迷ったのか、私はTシャツの裾を持ち上げてしまった。
「あっ、大丈夫です! シャツはそのままで!」
吉田さんが慌てて止める。
「あ、ああ、そうですよね! そのためのシャツですよね!」
こちらも慌ててシャツを下ろす。
……胸、見られなかったよね? これは恥ずかしすぎた。
「服は脱がなくて大丈夫です。胸をつけて、あごを乗せてください。」
冷静に話しているようだが、彼の顔も少し赤い。
申し訳なさで胸がいっぱいになる。
その後の撮影は滞りなく進んだ。
「では、引き続き下半身のレントゲン撮影に入ります。服は脱がずにベッドに寝てください。」
――服を脱ぐな、と念を押してきたな。
さすがにベッドの上で脱いだら変態だ。
「手は胸の上に置いてください。足は肩幅くらいにお願いします。」
ベッドの上に機械がある。ずいぶん仰々しい。
「ちょっと失礼しますね。」
そう言って、吉田さんは私のつま先同士を軽くくっつけた。
「そのままの姿勢でお願いしますね。では、撮影に入ります。」
股関節に光が当たる。
――まさか、そんなところにスポットライトを浴びる日が来るなんて。
しょうもないことを考えていたら、撮影はあっという間に終わっていた。
レントゲン撮影が終わると、渡辺さんが待っていた。
「お疲れさまです。着替えて、中待合室でお待ちくださいね。」
そう言って、更衣室の扉を開けてくれる。
――つくづく気が利く人だな、と思いながら更衣室に入った。
姿見の前でまっすぐ立ってみる。
「……いや、これ、うっすら透けてるような……。」
とはいえ、もうどうすることもできない。
おとなしく着替えて中待合室で待っていると、名前が呼ばれた。
診察室に入ると、先生と技師の吉田さんがいた。
「レントゲンはこちらです。では、失礼します。」
吉田さんが退出しようとしたところを、先生が制した。
「ちょっと待って。今回は見学していきなさい。きっと将来の役に立ちますよ。」
そのまま吉田さんも同席することになった。
――ちょっと恥ずかしいけど、仕方ないか。
結局、先生・母・渡辺さん・吉田さん、そして私。
……多くない?
「では、まず上半身ですね。」
そう言って、先生がモニターにレントゲンを映し出した。
光が当たり、私の上半身の骨格が浮かび上がる。
(確かに、骨格が歪んでるような……って、ちょっと待って。あの丸い影って……?)
骨格の上に、ふたつの丸い形がくっきりと浮かび上がっていた。
(あれって、胸……だよね?)
一度そう認識してしまうと、もう頭の中が真っ白になる。
先生が何か説明しているようだが、言葉は耳に入ってこない。
ちらりと吉田さんの方を見る。
真面目な表情で画面を見つめていた。
――私だけなのだろうか。あの丸みを気にしているのは。
「ではこちらの写真と比較してみましょう。」
そんな声がどうにか聞こえた。
ハッとし、モニターを見た。
それは先ほど撮影した正面と後ろからの写真であった。
上半身の画像が拡大される。
「ここが少し歪んでいますね。」
先生の説明が淡々と続く。
けれど私は、別の部分に目を奪われていた。
撮影のときのフラッシュのせいだろう、布越しの先端が思いのほかはっきり映っている。
ぼんやりとだが乳輪の形まで見えている。
横にあるレントゲンの写真、そしてこのシャツが透けた写真。
それを合わせてしまえば、自分の胸の形がほとんど想像できてしまう――そう思った瞬間、息が詰まる。
先生の声は遠く、誰もが真面目な顔で画面を見つめている。
この場で動揺しているのは、きっと私だけだ。
続いて、下半身の説明に移る。
光の中に、股関節の骨格が浮かび上がった。
私は思わず目をそらした。
映し出された画像には、骨の輪郭のほかに、自分の性器の形まではっきり見えてしまっている。
どんな形か、もう隠しようがなかった。
大陰唇の中の小陰唇、そして恥ずかしい部分を覆う鞘まではっきりと。
先生はいつも通りの穏やかな声で、指示棒を使って股関節の位置を示していく。
淡々とした説明の言葉が響くたびに、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
指示棒が股関節のあたりを指し示すたびに、体の奥が反射的にこわばった。
自分でもおかしいと思うほど、全身が緊張してしまう。
こっそりみんなの顔をうかがう。
先生は顔色ひとつ変えず、真剣に説明を続けていた。
けれど吉田さんと渡辺さんは、どこか顔が赤いような気がした。
……いや、きっと気のせいだ。
そう思わなければ、この場から逃げ出してしまいそうだった。
はやく、早く説明を終わらせてください――
心の中で、ただ祈り続けた。
エピローグ
すべての診察が終わり、母と一緒に帰路についた。
「良い先生だったわね。時間はかかるけど、良くなるみたいよ。」
母の言葉を聞きながらも、正直なところ先生に何を言われていたのかはあまり覚えていない。
たぶん――私だけが、自分の大事な部分が映っていたことに気づいていたのだろう。
恥ずかしかったけれど、それもきっと自意識過剰のせい。
説明をちゃんと聞かなかったのは悪かったな。
……そう思っていた、そのときだった。
「そういえばあのレントゲン、恥ずかしいところも映ってたわね。」
母がそんなことを口にした。
「え? なんのこと?」
動揺を隠して、冷静を装って聞き返す。
「ほら、股関節のレントゲン。あれ、女の子の大事なところもはっきり映ってたわよ。」
――やっぱり、みんな気づいていたんだ。
見られていなかったことにしていたのに。
誰も気にしていないはずだと自分に言い聞かせていたのに。
「そ、そうなんだ。気がつかなかったよ。」
そう言うしかなかった。
「ほら、さっきレントゲンの写真もらったんだけど、はっきり映ってるわよ。恥ずかしいわねぇ。」
そう言って、スマホの画面をこちらに見せてくる。
母は時折、こうしてデリカシーが欠ける。
悪気がないからこそタチが悪い。
「……さすがにその画像は消して。誰かに見せたら許さないから。」
私の真剣な口調に気づいたのか、母は素直に画像を消してくれた。
――あのレントゲンの写真、病院には保管され続けるんだろうか。
恥ずかしさはある。
でも、もし誰かに見られることがあるなら……と考えると、ほんの少しだけ、胸が熱くなるような気もした。
「いやいや、私は変態じゃない。……きっと。」
夕焼けが、どこまでも綺麗だった。
END


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