今、俺は友人と共に電車に揺られている。 目的地は、二泊三日の海旅行。
旅そのものは楽しみにしていたから、そこまでは良い。良いのだが……。
「なんで男三人旅のはずが、お前ら二人とも彼女連れてきてるんだよ。」
対面のボックス席には、仲良さそうに女の子が二人座っていた。
「黙ってたのは悪かったって。でもさ、さすがに彼女がいるのに置いて海旅行は無理だろ?」
「そうだよ。そもそもさ、お前だって最近デートしてた女の子がいたじゃん。連れてくればよかったのに。」
今こうして俺が一人でいるということは、当然、その子とは上手くいかなかったわけだ。
これに関しては、俺に原因がある。
何人かの女の子とデートをしたことはある。
だが、あと一息で付き合うという手前で、いつも急に心が冷めてしまうのだ。
その身勝手さのせいで、女の子を悲しませてしまったこともある。
でも、仕方ないじゃないか。いつも何かが物足りないのだから。
「拓海くん、ごめんね。でもさ、せっかくだからみんなで楽しもうよ。」
差し出されたのは、半分溶けかかった冷凍みかん。
……それもそうだよな。
彼女たちに罪はないもんな。
「ほら、海が見えてきたぞ!」
窓の外を見ると、視界いっぱいに、気持ちいいほどの青が広がっていた。
ここまで来てブツクサ言ってもいい事なんかないか。
「そうだな。ごめんな、せっかくの海なのに。楽しもうな。」
「ああ! 向こうでいい感じの女の子がいたら、全力でフォローするからな!」
潮の香りが、俺の新しい夏の始まりを予感させてくれた。
目的地に到着したのは、ちょうど昼前だった。
旅館に荷物を預け、早速海へ……と言いたいところだったが、俺たちは先に海の家へと直行した。
何はともあれ、まずは腹ごしらえだ。
運よく広めのテーブル席が空いており、滑り込むように腰を下ろす。
「やっぱ海と言ったら焼きそばかな?」
「ラーメンもいいよね。」
「かき氷は後かな。海入る前にお酒はダメだからラムネ頼もうよ。」
メニューを囲んでわいわいと盛り上がる5人。
すると、頭上から突き抜けるような元気な声が降ってきた。
「いらっしゃいませ! ご注文はお決まりですか?」
そこには、水着の上にエプロンを纏い、ポニーテールをたなびかせた夏らしい女の子が立っていた。
一瞬、言葉を失って目を奪われる。
ハッとして慌ててメニューへと視線を落とした。
注文を終えて彼女が去っていくと、案の定、友人たちがニヤニヤしながら顔を覗き込んできた。
「おい拓海、今の子めちゃくちゃ可愛かったな。」
「あ、もしかしてああいう子がタイプ?」
「なるほどねー、拓海くんは結構年下っぽい子が好きなんだ」
「でも、看板娘っぽいし、競争率高そうだぞ?」
全員が好き勝手に囃し立ててくる。
けれど、確かにあそこまで可愛い子なら、もう彼氏くらいいるのが普通だろう。
俺はあえて生返事を返し、小さくため息をひとつついた。
それから俺たちは、時間を忘れて海を満喫した。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、気づけば空が茜色に染まり始めていた。
「俺たち、一旦旅館に戻るけどお前はどうする?」
友人から声をかけられたが、なぜだか俺は、まだこの場所に残っていたい気分だった。
「ああ、もう少しだけ泳いだら戻るよ。先帰っててくれ。」
「そっか。夕飯の時間には遅れるなよ。」
そう言い残して去っていく4人を見送り、俺は再びそっと海に身を浸した。
大量の水が、自分の濁った心を優しく包み込んでくれるような気がした。
少し沖の方まで泳いでいった、その時だった。
「た、助けて……っ!」
静かになりかけた海に、女の子の悲痛な声が響いた。
慌てて周囲を見回すと、少し離れた水面でバシャバシャともがいている人影が見える。
俺は無我夢中でその場へ泳ぎ、彼女の体を水面へと引き上げた。
「大丈夫ですか!?」
その時、指先に女の子特有の柔らかい感触が触れた気がしたが、それを気にしたら俺も溺れてしまう。
必死の思いで彼女を抱え、海岸の砂浜まで連れ戻した。
「ゲホッ、ゲホッ……!」
激しく咳き込む彼女は、どうやら海水を飲んでしまったらしい。
俺は自分の荷物置き場まで猛ダッシュし、買っておいたペットボトルの水を掴んで戻った。
少し咳が落ち着いたタイミングを見計らって、それを差し出す。
「これ、飲んでください。」
水を一口、二口と含み、彼女はようやく人心地ついたようだった。
「あの、本当にありがとうございました……。急に足が攣っちゃって、パニックになって……」
申し訳なさそうに濡れた顔を上げた彼女を見て、俺は息を呑んだ。
見覚えがある整った可愛らしい顔立ちに、濡れて首筋に張り付いたポニーテール。
「あれ……? もしかして、海の家の店員さん?」
すると、彼女は少しキョトンとした顔をした後、パッと花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「えっ! お客さんできてくれたんですか?ありがとうございます!」
夕暮れの浜辺でもなお、彼女は「夏」そのもののような眩しいエネルギーを放っていた。
それから俺たちは、濡れた砂浜に腰を下ろして少し言葉を交わした。
「本当に助けてくれてありがとうございました。あ、私、小林夏海っていいます。夏の海って書いて、夏海です。」
――小林、か。
俺にとって、その名前には決して良い思い出がない。
できれば、その名前では呼びたくなかった。
「俺は、朝倉拓海です。あの、初対面でなんだけど、夏海ちゃん、って呼んでもいいかな?」
突飛な提案に、彼女は一瞬だけ不思議そうな目をしたが、すぐに小さく破顔した。
「はい! 私、みんなからも夏海って呼ばれてますから。じゃあ、私も拓海さんって呼びますね!」
そう言って、彼女は濡れた小さな手をこちらに差し出してきた。
少し戸惑いながらもその手を握り返すと、驚くほど温かかった。
「これで私たち、友達ですね! これからも仲良くしてください!」
屈託なくニコニコと笑う夏海ちゃんを前に、俺の心はどうしようもなく惹かれていた。
話を聞けば、彼女はどうやらこの近くに住んでいるらしい。
夏休みの間、地元の海の家でアルバイトをして、仕事の合間や終わりに大好きな海で泳ぐのが日課なのだという。
「はじめて足を攣っちゃいまして。拓海さんがいなかったらどうなっていたことやらですよ。」
恥ずかしそうに視線を落とす彼女に、俺は少し口を滑らせた。
「危うく名前の通り、本当に『夏の海』になるところだったね。」
「むー! 嫌なこと言わないでくださいよ。怖くて海に入れなくなっちゃうじゃないですか!」
夏海ちゃんは不満げに頬を膨らませ、俺の腕をペチペチと小突いてきた。
その仕草があまりにも可愛らしくて、つい柄にもないセリフが口をついて出る。
「……また溺れそうになったら、俺が助けるから。」
言葉の重みに気づき、思わず視線が絡み合う。
夕闇が迫る静かな波の音の中、お互いの顔が自然と近づいていった。
彼女の吐息が届きそうなほどの距離。
あと、数センチ。
――ピリリリリリ!
突如として鳴り響いたけたたましい電子音に、俺たちは弾かれたように飛びのいた。
音の主は、夏海ちゃんのスマホだった。
バクバクと波打つ胸を必死に抑えながら、俺は内心で頭を抱えていた。
もし今の着信がなかったら、俺は夏海ちゃんと……。
あまりのタイミングの悪さに、心の中で血の涙が流れる。
彼女は慌ててスマホを耳に当て、二言三言と言葉を交わした。
やがて通話を終えると、ひどく申し訳なさそうな顔で俺を振り返った。
「ごめんなさい……お父さんが、もう近くまで迎えに来ちゃったみたいで……」
楽しい時間はいつも、残酷なほど早く過ぎてしまう。
夕飯の時間もあるし、これ以上引き止めるわけにはいかない。
「そっか、仕方ないね。じゃあ、お父さんの車が待ってるところまで送るよ。」
申し訳なさと、それでもまだ話し足りないという名残惜しさが、彼女の表情に滲んでいた。
俺たちは並んで、車の待つ場所へゆっくり、ゆっくりと歩いた。
歩幅をどれだけ狭めても、目的地にはあっという間に着いてしまう。
「あ! お父さーん!」
夏海ちゃんがパッと表情を輝かせ、大きく手を振った。
その視線の先、ハザードランプを点滅させた車の横に、一人の男が立っていた。
俺は、その人を見て固まってしまった。
「あれがお父さんですよ。……って、拓海さん? どうしたんですか、そんな怖い顔して。」
今の自分がどんな表情をしているかわからなかったが、そうか、怖い顔をしているのか。
小林、という苗字。
まさか、最悪の形でその点と点が繋がってしまうなんて。
ハザードランプの光に照らされた男が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
「久しぶりだな。元気にしていたか?」
「……おかげさまで。」
横にいる夏海ちゃんは、俺たちの異様な空気を察して完全に混乱している。
「あの、もしかして、二人は知り合いなんですか?」
「……親父だ。」
吐き捨てるように呟いた俺の言葉に、夏海ちゃんが息を呑んだ。
まさかこんな場所で再会するなんて、夢にも思わなかった。
この男――俺の父親は、俺が三歳の頃に母親と離婚した。
物心ついた時にはもう家にいなかった存在だ。
それでも、俺が中学校に上がった頃から、なぜか年に一度だけ呼び出されて会うようになった。
会ったところでろくに会話もせず、一言二言の会話を交わし、小遣いを渡されてすぐに帰される。
本当に、ただ生存確認のために顔を見ているような、希薄な関係だった。
それでも、親父に感謝している部分もあった。
毎月、相場を遥かに超える額の養育費をきっちり支払い続けてくれたおかげで、俺は不自由なく大学まで進むことができたからだ。
だから、親父に対して憎しみのようなものは抱いていなかった。
だが、今回は話が違う。
今日出会い、心を奪われた女の子が、いま俺の目の前で、俺の親父を「お父さん」と呼んでいる。
脳が理解を拒絶していた。
「夏海、帰るぞ。」
親父はそう冷たく言い放つと、まだ状況が飲み込めず立ち尽くす夏海ちゃんの腕を掴んだ。
そして、無理やり車の後部座席へ押し込もうとする。
その親父の腕を、俺の身体が勝手に動いて掴み取っていた。
「……説明しろよ! なんなんだよ、これ!」
思った以上に大声が響き渡り、周囲にいた人たちが遠巻きにこちらを伺うのが分かった。
その視線を嫌うように、親父は深く、ひどく鬱陶しそうなため息をついた。
「お前と一緒にいるその娘は、お前の妹だ。……腹違いだがな。」
自分の口から問い質したくせに、これ以上ないほど知りたくない真実だった。
俺が人生で初めて、理屈抜きで一目惚れした相手が、実の妹だったなんて。
足元から世界がガラガラと崩壊していくような、強烈な目眩に襲われた。
「え……? お兄ちゃん……?」
夏海ちゃんが絶句し、その大きな瞳をさらに見開く。
いっそこのまま意識を失ってしまいたかった。
「ほら、行くぞ。」
親父は俺の手を振り払い、呆然とする夏海ちゃんを車内へ押し込んだ。
ガチャン、とドアが閉められようとした、その瞬間。
夏海ちゃんが強引にそれを手で遮った。
「あの……! 私、明日バイト休みなんです! だから! あの海の家で待ってますから……!」
ハッとして見つめた窓の向こう。
夏海ちゃんは、夕方の海のように、全てを優しく包み込んでくれるような、切なくも力強い笑顔を浮かべていた。
親父がそれを見て、苦虫を噛み潰したような顔で低く唸る。
「バカなことを言うな。お前たちがこれ以上一緒にいたって、良いことなんて何一つない。諦めろ。」
だが、夏海ちゃんは一歩も引かなかった。
車の奥から、親父を真っ直ぐに見据えて反論する。
「私と拓海さんは兄妹なんでしょ? だったら、兄妹仲良く遊んだって何も問題ないじゃない! ダメって言われても、私、勝手に行くから!」
「……勝手にしろ。」
親父の呆れたような呟きを聞き届けると、夏海ちゃんはもう一度、俺の目をまっすぐに捉えた。
「明日、待ってます。絶対に来てくださいね。」
バタン、と今度こそドアが閉まり、静かに車が発車していく。
赤いテールランプが夜の闇に溶けて消えていくのを、俺はただ立ち尽くしたまま、いつまでも、いつまでも見つめていた。
頭の中は激しい嵐の後のように、完全に静まり返ったまま、何も整理できずにいた。
宿に戻ってからも、俺の意識はずっとどこか遠くを彷徨っていた。
友人たちが「どうしたんだよ」と心配して声をかけてくれたが、この話していいものか、それすら判断がつかなかった。
それでも容赦なく、次の日の朝は訪れた。
朝食を済ませた後、一人だけで旅館に残るわけにもいかず、俺は結局みんなと一緒に海へと向かうことになった。
砂浜を踏みしめる足取りはひどく重かったが、やがて視界の先に、あの海の家が見えてきた。
その傍ら、波打ち際を見つめてぽつんと佇んでいる女の子の姿があった。
彼女は俺たちの姿を見つけると、パッと表情を輝かせて、大きく右手を振ってきた。
「拓海さーん!」
その声に反応して、友人たちの視線が一斉に俺へと集中する。
「おい、お前……あの子といつの間にそんな仲になってんだよ!」
「結構やるじゃん、拓海くん。」
からかうような、けれど羨むような言葉に、複雑な感情を抱えながらも、男としての小さなプライドがほんの少しだけ誇らしい気分にさせられる。
「えっと……この子は、夏海ちゃん。」
「初めまして! 小林夏海です! よろしくお願いします!」
元気よく頭を下げる彼女を、俺はとりあえず友人たちに紹介した。
――彼女が俺の『妹』である、という事実は深くに伏せたままに。
一通りの自己紹介が終わると、友人の一人がニヤリと笑って俺の肩を叩いた。
「ま、二人の邪魔をするのも野暮だしさ。ここからはそれぞれ別行動にしようぜ。昼になったらまたここに集合ってことで!」
気を遣ってくれたことが申し訳なく、同時にありがたかった。
友人たちは各々の彼女の手を引いて、波打ち際へと駆けていく。
残されたのは、俺と夏海ちゃんの二人だけ。
俺たちを「カップル」の括りに入れていいのかどうか、俺には分からなかった。
そんな俺の戸惑いを置き去りにするように、夏海ちゃんがそっと俺の腕を包み込んできた。
「せっかくの海だし、思いっきり楽しみましょうよ!」
腕に触れる、柔らかく確かな女の子の感触。
もしかするとこの子は、少し小悪魔なタイプなのかもしれない。
それから昼までの間、俺たちは二人きりで海を満喫した。
約束の正午になり、全員で合流して海の家で昼食を取る。
夏海ちゃんは友人たちの彼女二人から、質問攻めに遭っていた。
そんなガールズトークに終始ニコニコと楽しそうに応じている夏海ちゃんを見て、ふと愛おしいような、微笑ましいような感情が湧く。
……けれど、この感情は『兄』としてのものなのだろうか。
未だに俺の心は、男と兄の境界線で行き場をなくしていた。
昼食が終わると、再びそれぞれ別行動の流れになった。
夏海ちゃんは今度は俺の手をぎゅっと握り締め、再び海へと歩き出す。
差し出された手の温もりを感じながら、俺は心の中で問いかけ続けていた。
夏海ちゃんは、俺のことを男として見ているのだろうか。
それとも、兄として慕っているのだろうか。
ジリジリと肌を焼く夏の太陽も、どこまでも真っ青に広がる美しい海も、俺の心に居座る複雑な霧を洗い流してはくれなかった。
それからの時間は、まるで恋人同士のように楽しんだ。
お互いに、自分たちが「兄と妹」であるという真実から、必死に目を背けるようにして。
けれど、楽しい時間は残酷なほどあっという間に過ぎ去っていく。
傾いた太陽が海面を朱く染める頃、夏海ちゃんと過ごす夢のような時間にも、終わりの時が近づいていた。
俺たちは、周囲から大きな岩に遮られた、人目のつかない静かな砂浜に並んで腰を下ろした。
「……楽しかったですね。」
「うん。本当に、楽しかった。」
俺は明日、この街を去らなければならない。
普通の男女なら、ここで連絡先を交換して「またね」と繋がることができるだろう。
けれど、俺たちはあまりにも訳ありの兄妹だ。
このまま何も残さず、二度と会わずに別れてしまうことこそが、正しい選択なのかもしれない。
そんな俺の逡巡を見透かしたように、夏海ちゃんがぽつりと、波の音に言葉を乗せた。
「私ね……ずっと、何かが物足りないと思いながら生きてきたんですよ。」
彼女は遠い水平線を見つめたまま、言葉を紡いでいく。
「お父さんもお母さんも優しいし、仲の良い友達もたくさんいます。不満なんて何もないはずなのに、ずっと、心の中にぽっかりと冷たい隙間がある気がしていたんです。」
――俺と、一緒だ。
これまでの人生、どんな女の子とデートを重ねても、あと一歩のところで心が冷めて満たされなかった理由。
あの、どうしても拭えなかった虚無感の正体が、目の前で形を成していく。
「でもね、昨日拓海さんに助けられて、こうして話しているうちに、その隙間がどんどん、どんどん満たされていく気がしたんです。」
そうだ。俺も同じだった。
昨日、彼女の笑顔を見た瞬間に、乾ききっていた心が信じられないほどの熱量で潤されていくのを感じたのだ。
「……だから私、拓海さんがお兄ちゃんだって知ったとき、本当はすごく嬉しかったんです。だけど――それと同時に、胸が引き裂かれそうなくらい、悲しくなっちゃった。」
「夏海ちゃん……」
遮るもののない夕闇の中で、どちらからともなく視線が絡み合う。
そして、昨日の夕暮れには果たせなかった誓いの続きをするように、ごく自然に唇を重ね合っていた。
それは、兄妹としてではない。まぎれもなく、男と女としての口づけだった。
その瞬間、俺は確信した。
俺は、おそらく彼女がこの世に生を受けた18年前から、遺伝子レベルで、魂の片割れとして彼女を求め続けていたのだと。
そしてきっと、彼女も同じだったはずだ。
出会ってまだ二日にも満たないはずの俺たちは、実は18年もの長い間、互いを渇望し続けていたのだ。
愛おしさが決壊し、俺は彼女の華奢な身体をそっと砂浜に押し倒した。
しかし、夏海の手が、俺の胸元を優しく、けれど確実に押し返した。
「……だめだよ、お兄ちゃん。私たちは、兄妹なんだから。」
困ったように、けれどどこか諭すように歪められた彼女の表情は、確かに俺と血の繋がった「妹」のものだった。
世界で唯一、俺の心の隙間を完全に埋めてくれる存在。
それを見つけたというのに、血の呪縛という高い壁の前に、俺はそれ以上、どうすることもできなかった。
「……ごめん。」
身勝手な自分を恥じ、身を引こうとした俺を、夏海ちゃんは切なげに、けれど愛おしそうに微笑んで見つめていた。
「でも、少しだけ……ほんの少しだけ、私でいさせてください。」
かすれた声でそう囁くと、今度は夏海ちゃんの方から、貪るように唇を寄せてきた。
何かを激しく求めるように、熱い舌が口内へと侵入してくる。
同時に、彼女の小さくて温かい手が、俺股間へと伸びてきた。
重ね合わされた唇の奥で、熱い舌が不器用に絡み合う。
それと同時に、水着の上からそっと触れてきた彼女の手は、驚くほど優しく、愛しむように上下へと動き始めた。
深く、激しい口づけと、容赦なく注がれる手の刺激に、俺のそこは瞬く間に限界まで猛り立ってしまう。
「ふふ、大きくなりましたね……」
わずかに口を離した夏海ちゃんが、どこか嬉しそうにそう囁いた。
そのまま彼女は砂浜に膝をつき、俺の下半身の方へと身を沈めていく。
「少しだけ腰を上げて貰えますか?」
言われるがままに身を浮かせると、彼女の両手によって、俺の水着がするりと足元へと引き抜かれた。
夕闇の冷たい空気に晒され、勃起したそれが、ビンと跳ねるように飛び出す。
「拓海さんのここ、かわいいですね。」
直球すぎるその言葉に、胸の奥が急激に熱くなり、猛烈な羞恥心が押し寄せてきた。
何せ、自分のこんな姿を女の子に見せるのは、人生で初めてのことだったからだ。
余裕を崩さない言葉とは裏腹に、夏海ちゃんの手がわずかに躊躇うように宙を彷徨っていることに気づく。
もしかして、彼女にとっても男の身体に触れるのは、これが初めてなのだろうか。
「よし」と、覚悟を決めるような小さな呟きが聞こえたかと思うと、温かい手のひらがそっと包み込んだ。
そのまま、慣れない手つきでゆっくりと上下に動かされ始める。
意図したものなのかは分からないが、彼女の指先が動くたび、包皮が亀頭の上をなめらかに滑り、信じられないほどの快感が脳髄を突き抜けた。
それは、見事なまでに包皮の遊びを活かした愛撫だった。
「う……くぅ……っ」
堪えきれず、喉の奥から情けない声が漏れてしまう。
そんな俺の反応に、夏海ちゃんは嬉しそうに嬉しそうに手を動かしていく。
静かな波の音に紛れるようにして、先端から溢れ出た液体が、グチュグチュと濡れた音を立てて砂浜の片隅に響く。
初めて女の子の手で扱かれるという快楽に、俺の理性を繋ぎ止める糸は、もう今にも千切れそうだった。
「な、夏海ちゃん……ダメだ、もう、イッちゃう……」
限界を告げる俺の掠れた声に、彼女はクスッと愛らしげに微笑んだ。
「はい……私の手の中に、全部出してしまってください。」
その言葉と同時に、彼女の手のスピードが一段と早くなる。
溢れ出る愛おしさに耐えかねて、俺は夏海ちゃんの顔へとそっと自分の顔を近づけた。
彼女はその意図を瞬時に察して、優しく唇を迎え入れてくれる。
その、深く、甘い接吻の最中だった。
ドクン、と大きく脈打った俺のそこから、ビュビュッと熱い塊が、夏海ちゃんの小さな手の中へと激しく放出されていった。
頭が真っ白になるような解放感の中で、俺はいつまでも彼女の舌を貪っていたかったが、やがて名残惜しさを残したまま、ゆっくりと顔を離した。
「……気持ち良かったですか?」
夏海ちゃんは、手についた白い余韻を気にする風でもなく、ただ太陽のような笑顔を俺に向けていた。 そのあまりにも無垢で深い愛情に、俺の心は、世界のすべてを敵に回してもいいと思えるほど、ただひたすらに満たされ続けていた。
夏海ちゃんは白くドロドロになった自分の手を見つめ、それから悪戯っぽい笑みを浮かべて俺を見た。
「お兄ちゃん、海に入っちゃおうか。」
今更ながら周囲を見回してみるが、やはりこの岩陰は完全な死角になっていた。
俺は彼女に促されるまま一緒に海へと走り込み、互いの身体や手にこびりついた情事の痕跡を、冷たい海水で洗い流した。
公共の場を汚してしまったという微かな罪悪感はあったが、「すべてを包み込む母なる海へ還すだけだ」と自分に都合のいい言い訳をして、胸の奥へと納得させておく。
俺が自分のそこを洗い終えた、その時だった。
横からバチャバチャと激しい水しぶきが飛んできた。
見れば、夏海が子供のように無邪気な顔をして、遠慮なしに海水をかけてきている。
こちらも負けじと、両手で大きな波を作ってやり返す。
夕暮れの海に二人の笑い声が響く。
遠目から見れば、それはどこにでもある「仲の良い兄妹」の、微笑ましい夏の戯れにしか見えなかったかもしれない。
ひとしきり遊んで海から上がると、夏海は砂浜に置いていたスマホを手にとって画面を確認した。
その途端、彼女の表情からさっきまでの眩しいきらめきが消え、寂しげな陰が差す。
「……あと30分で、お父さんが来ちゃうって。」
ぽつりと言ったその声は、波の音にかき消されそうなほど小さかった。
「……そう言えばさ。親父、よく今日の外出を許してくれたね。しかも昨日と同じで、送り迎えまでしてくれるんだろ?」
ずっと疑問に思っていたことを口にすると、夏海は小さく頷いた。
「うん。やっぱり女の子が夜一人で帰るのは危ないからって。……あとね、『今日一日だけお前たちの好きにさせれば、お互いに諦めもつくだろう』って言ってた。」
やはり、そうだったのか。
親父は俺たちが一緒にいることを、良しとしていない。
だからこそ、二度と会わせないための『手切れ金』の代わりに、この一日という短い猶予をくれたのだろう。
「……ねぇ、拓海さん。」
夏海ちゃんが、冷えた俺の手のひらに自分の手をそっと重ねてきた。
そのまま、俺の顔をじっと見つめ、濡れた瞳で囁く。
「最後に……もう一度だけ、気持ち良くしてあげます。私のことを、一生、忘れられないように。」
――最後、という言葉が、鋭い刃物のようになって胸に突き刺さった。
残された30分という時間は、二人の関係の完全な終わりを告げる、残酷なカウントダウンだった。
「……ああ。俺も、一生忘れたくないから。」
ある意味で、俺の失われた半身そのものである夏海ちゃん。
そんなことをされなくたって、俺が彼女を忘れるわけがない。
それでも俺は、少しでも長く、夏海ちゃんと繋がっていたかった。
もう何度目かも分からない、深い口づけ。
絡み合う舌の熱に浮かされながら、夏海ちゃんの小さな手が俺のそこを優しく揉みほぐしていく。
彼女に触れられるだけで、俺の身体はあまりにも容易く膨れ上がってしまった。
やがて彼女は名残惜しそうに唇を離すと、今度はその視線を、おれのちんちんに落とした。
彼女はその最先端へとそっと唇を寄せ、ちゅっ、ちゅっと何度も何度も愛おしそうにキスを落としていく。
夏海ちゃんの柔らかく温かい唇の感触が、包皮の上から断続的に伝えられる。
それだけでも脳が痺れそうだった。
そして、彼女の指先がそっと包皮を押し下げた。
夕闇のなかで、つるん、と完全に表へと剥き出しになる亀頭。
「ふふ……拓海さんの一番恥ずかしいところ、見ちゃいました。」
いたずらっぽく微笑みながら、彼女はむき出しになったそこをじっと見つめる。
おそらく今の俺の顔は、これ以上ないほど真っ赤に染まっているはずだ。
けれどそれは、すべてを朱く染め上げる夕日のせいだということにしておいた。
夏海ちゃんはクンクンと鼻を近づけて匂いを嗅いだかと思うと、躊躇うことなく、それをパクッと口の中にくわえ込んだ。
正直、彼女がここまで大胆な行動に出るとは思っていなかったので心底驚いたが、もう夏海ちゃんに全てを委ねようと思っていた。
熱い口腔の壁が俺のちんちんを包み込み、ぬるりとした舌が亀頭を執拗になめ回す。
しかし、彼女はすぐに口を離した。
「……ちょっと、しょっぱいですね。さっきの海水の味かな。」
「あ、ごめん! 水で流そうか?」
「ううん、大丈夫ですよ。私、海も大好きですから。」
そう言って彼女は、再びパクッと愛おしそうに咥え直してくれた。
俺は、彼女が口にした『海も』という言葉の意味を噛み締め、胸の奥から湧き上がるえも言われぬ幸福感に満たされていく。
彼女は巧みに舌を使い、俺のそこを掃除するように丁寧に舐め上げていく。
そこに残っていた海水は、夏海ちゃんの熱い舌によってすっかりピカピカに磨き上げられていくようだった。
手による愛撫とはまったく違う、口腔という未知の快感。
そして何より、あの最愛の夏海ちゃんが自分のそこを咥えてくれているという圧倒的な事実が、俺の射精感を爆発的な勢いで押し上げていく。
これが、夏海ちゃんとの最後の射精になるかもしれない。
もしそうなら、この快楽を、この温もりを、最後の数秒まで限界を越えて味わい尽くしたかった。
夏海ちゃんは頭を細かく上下に動かし、俺のペニスを喉の奥へと誘っていく。
その動きに合わせて、じゅ、じゅっ、と湿った猥雑な音が静かな岩陰に漏れ出した。
視覚、聴覚、そして生々しい触覚のすべてが、俺の理性を容赦なく責め立てる。
そして、ついにその時が訪れた。
「あぁ……っ! 出る、出ちゃう……!」
俺の声を聞いて、彼女は口を離すだろうと思った。
だが、夏海ちゃんは違った。
むしろ、俺の腰を両手でがっしりとホールドし、逃がさないとばかりにさらに深く食らいついてきたのだ。
彼女の熱い舌が、一番の敏感肌である裏すじを激しく攻め立てる。
そして、ぢゅーっ、と音を立てて思いきり肉を吸引された。
そのあまりの強烈な刺激に、俺の腰が大きく跳ねた。
と同時に、夏海ちゃんの狭い口内へと、俺の熱い精液のすべてをドクドクとぶちまけていた。
思った以上の勢いと量だったのだろう、夏海ちゃんは目を丸くして驚いていた。
それでも彼女は、健気に喉をコクコクと鳴らし、俺の放出したすべてを一口残らず飲み干してくれた。
俺の精液が、夏海ちゃんの身体の奥深くへと溶け込んでいく。
その確かな感覚が、俺たちの絆をより不滅のものにしていく気がした。
すっかり小さくなった俺のそこから、彼女は愛おしそうにゆっくりと口を離した。
お互いの顔を見合わせた瞬間、なぜか同時に、ふっと笑ってしまった。
それは押し寄せる激しい照れ隠しだったのかもしれない。
「……また、海に入って洗いますか?」
息を整えながら尋ねる夏海ちゃんに、今回は首を横に振って拒否をしておいた。
なんとなく、今さっきまで夏海ちゃんが俺を愛してくれた証をすぐに流してしまいたくなかったからだ。
もちろん、彼女には買っておいた水を渡し、念入りにうがいだけはしてもらったけれど。
そうこうしていると、夏海のスマホにメッセージが届いたようだった。
「……お父さん、駐車場に着いちゃったみたい。」
ぽつりと、寂しそうに呟く。 彼女はゆっくりと立ち上がると、水着についた砂を優しく払った。
そして、俺に向かって無理やり作ったような笑顔を向けた。
「今日は本当にありがとう。お兄ちゃんと一緒に海で遊べて……本当に楽しかったよ。」
背中を向けて、彼女が駐車場の方へと歩き出そうとする。
その瞬間、俺の胸の中に強烈な焦燥感が突き上げた。
ここで彼女を見送ってしまったら、もう二度と、本当に一生会えなくなってしまう。
気がつけば彼女の後ろ姿へと飛びつき、その華奢な身体を強く、強く抱きしめていた。
「夏海、俺……来年、就職するんだ。」
「……うん。」
「だからさ、一年だけ……一年だけ、待って貰えないかな。」
「……うん。」
俺の腕の中で、夏海は声を震わせながら小さく頷く。
「来年の夏、必ずお前を迎えに来るから。」
「……うん。」
「そしたらさ、二人で暮らそう。」
「……うん。」
「兄妹二人で静かに暮らすだけなら、きっと誰も文句は言わない。問題ないはずだ。」
「うん。」
しばらくの間、お互いの体温だけが通い合う静かな時間が流れる。
やがて、夏海が腕の中で少しだけ身体を揺らした。
「……でもね、お兄ちゃん。私も来年、進学するんだよ?」
それは考えていた。
俺が大学を卒業して就職し、生活基盤を整えて迎えに行けるのは、どう考えても来年の「夏」になってしまう。
彼女が大学に進学する四月から夏までの数ヶ月間、どう過ごしてもらうべきか、具体的な算段が必要だった。
俺が少しだけ言葉に詰まっていると、今度は夏海が振り返り、ギュッと俺の身体を抱きしめ返してきた。
「進路、考え直さなきゃ。……ちゃんと責任取ってよね。」
そう言って、彼女は俺の胸元から顔を見上げ、愛おしそうにそっと目を閉じた。
夕闇がすべてを包み込む砂浜で、俺たちは一年の離別を耐え抜くための、最後の接吻を交わした。
これから、あの親父とも真っ正面から向き合わなければならない。
結果的には、かつて幼い俺を捨てた親父から、今度は俺が夏海を奪い去ることになる。
激しい反発も、世間の冷たい目もあるだろう。
それでも、俺を唯一満たしてくれるこの半身を、今度こそ絶対に離さない。
必ず成し遂げてみせると、夜の海に向かって強く心に誓った。
エピローグ
あの激動の夜から、怒濤の一年が過ぎ去った。
社会人としての厳しい洗礼を受けながらも、俺はようやく最初のお盆休みを迎えることができた。
一年前は友人たちと賑やかに囲んだボックス席だったが、今回は俺一人で電車に揺られている。
目的地は、言うまでもなくあの時の海だ。
初めて彼女と出会い、そしてすべての約束を交わしたあの海の家で、俺たちは待ち合わせをしている。
ガタゴトと響く電車の窓いっぱいに、あの日と同じ気持ちいいほどの青い海が広がっていく。
隙間から滑り込んできた懐かしい潮の香りが、鼻腔を優しくくすぐった。
自然と口元が緩んでいくのを感じ、俺は慌てて少しだけ表情を引き締める。
駅の改札を出ると、眩しい真夏の太陽が俺を歓迎するように降り注いだ。
一歩一歩、この一年間の道のりを噛みしめるようにして砂浜へと歩を進める。
やがて視界の先に、あの懐かしい海の家が見えてきた。
自然と早歩きになる足を止められない。
海の家の店先に、見覚えのある人影を見つけた。
一年前よりも少し髪が伸び、少し大人びた雰囲気の女の子。
彼女は俺の姿を見つけると、パッと花が咲いたような笑顔になり、大きく右手を振った。
「拓海さーん!」
その声を聞いた瞬間、気がつけば俺は砂を蹴って走り出していた。
彼女の目の前にたどり着くと同時に、その華奢な身体を強く、強く抱きしめる。
「久しぶり……。綺麗になったね、夏海ちゃん。」
彼女も愛おしそうに、俺の背中に腕を回してギュッと抱きしめ返してくれた。
「拓海さんも……去年よりずっと、素敵になりましたね。」
待ち望んだ再会を喜び合っていると、すぐ横から「ゴホン」とわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
そちらへ視線をやると、相変わらず苦虫を噛み潰したような顔をした親父が、椅子に腰掛けてこちらを睨んでいた。
あの夏の後、俺は何度も親父のもとへ足を運び、話し合いを重ねた。
そして泥臭く頭を下げ続けた結果、ようやく「夏海が学生の間は、俺の家に住まわせる」という約束を取り付けたのだ。
夏海を腕の中に抱いたまま、俺は親父の方を振り返った。
「……親父。色々と無理を言って、悪かったと思ってる。」
「……勘違いするな。学生の間だけだからな。あっちの大学に通うには、お前の家からの方が圧倒的に便利だから仕方なくだ。」
夏海が進学する大学は、親父の住む実家よりも、俺が一人暮らしをしている家からの方が遥かにアクセスが良い。
その利便性を大義名分にして、どうにか交渉をまとめたのだ。
親父だって、こうなることは薄々分かっていたのかもしれない。
だからこそ、その『言い訳』をあえて受け入れ、俺たちの我が儘を許してくれたのだろう。
「お兄ちゃん、今日は私の家に泊まっていくでしょ?」
この一年の間に、何度も通うことになった夏海の実家。
夏海に会うことは許されなかったが、話し合いの場は設けて貰っていた。
数日間滞在する予定だったから、最初からそのつもりではあったが、一応親父の手前、口裏を合わせるように尋ねる。
「……迷惑じゃないかな?」
「そんなことないよ! お母さん、昨日から張り切ってご飯の準備してたんだから。」
夏海のお母さんは、俺の事情を知った上で、俺という存在を温かく受け入れてくれた。
本当に器の大きい人だと、今でも心から感服している。
「……言っておくが、夏海と部屋は別だからな。」
親父がボソッと釘を刺すように言い放った。
そんな不器用な牽制すら、どこか愛おしい。
決して普通とは言えない歪な形かもしれないが、俺と親父の間にも、以前より確かな信頼関係が築かれつつあった。
すると、腕の中の夏海ちゃんが、親父に見えない角度で俺の耳元に顔を寄せ、悪戯っぽく囁いた。
「――楽しみは、後でたっぷり取っておきましょうね、拓海さん。」
その吐息の熱さに、俺の胸は心地よく跳ねる。
波の音の向こう側、かつてないほど明るくきらめく未来の光を、俺は確かに感じていた。
END


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