「聞いたか? 明日、実習らしいぞ。」
食堂で昼飯を食っていた俺の前に、山田がトレーを置きながら話しかけてきた。
「え? マジで?」
俺と山田は、同じリハビリ系の専門学校に通うクラスメイトだ。
「ああ。もちろん、実験台は俺ら……。」
「……そうか。」
うちのクラスは10人。男は俺と山田の2人だけ。あとの8人は全員女子だ。
女性に体を触れられる実習、と聞くと羨ましいと思うかもしれないが、実際はそんな甘いもんじゃない。
「何? 二人して暗い顔して。」
そう声をかけてきたのは、隣に座ってきた吉田さん。このクラスで、比較的よく話す女子の一人だ。
「いや、明日、実習なんだってさ。」
「あー……そうか。」
なにやら心当たりがあるような口ぶりだった。
「多分ね、それ、私のせいかも。」
吉田さんは、少しだけ申し訳なさそうに笑った。
彼女は男性に触れるのが少し苦手らしい。ずっと女子校で育ち、家族も母と姉だけ。父親は出張が多く、子どもの頃からあまり男性と接する機会がなかったという。
「そりゃ仕方ないさ。明日は、お互い頑張ろうな。」
山田が明るく言ったあと、少しからかうような口調で続けた。
「君ら、けっこう仲良いけどさ……吉田さん、本当に男が苦手なの?」
なかなかデリカシーに欠ける発言だったが、吉田さんは笑って受け止めてくれた。
「お前にはわからんかもしれんがな、吉田さんと俺の間には、常に一定の距離が空いてるんだよ。最初は本気で嫌われてるのかと思ったくらいだ。」
「ごめんね。二人とは、頑張ってリアルな距離、縮めようとしてるんだけど……。」
その言葉に、少しだけ心が和らいだ気がした。
「私だってね、彼氏とか欲しいの。だから、もう少し男性に対する恐怖心、なくさないとね。」
そう言って、吉田さんは少し照れたように笑った。
「俺だって彼女ほしいよ……。」
山田が、ため息まじりにぼやく。
「あら? でもこのクラス、女子の方が多いんだから、選びたい放題じゃない? いわゆる“ハーレム”ってやつでしょ?」
冗談めかして言ったそのひと言に、俺と山田は妙に過剰に反応してしまった。
「バカ、間違ってもそんな話するな!」
「そうだ! そんなこと女子の耳に入ったら最後だぞ! 総スカンだ!」
——それが、女子に触られる実習でもまったく嬉しくない理由だった。
少しでも勃起なんかしようもんなら、即刻“変態”認定。冗談じゃない。
「ご、ごめんなさい。私、考えが足りなかったわ……。」
吉田さんは、申し訳なさそうに視線を落とした。
「ま、まぁ……俺たちの問題だからな。吉田さんは、明日の実習のことだけ考えてくれればいいよ。」
俺がフォローすると、山田も続けて言った。
「……そうだな。言いすぎた。ごめん。」
そう言って、山田は俺のトレイにあったプリンを、そっと吉田さんのトレイに移した。
吉田さんは、ちょっと驚いたあと、ふっと嬉しそうな笑みを浮かべた。
——ま、いいんだけどね。
当日になった。
やはり今回は、吉田さんともう一人の女子──香川さん──のための講習らしい。
そして……山田はいなかった。
どうやら、流行病にかかってしまい、数日間の外出禁止となったそうだ。
女子8人に、男子は俺ひとり。
中止になるかもしれない……そう淡い期待を抱いたが、実習のスケジュールは詰まっているらしく、中止はされなかった。予定通り、講習は強行されることになった。
絶望が、背筋を駆け抜けた。
当然だ。女子ばかりの中で、実習台として男の体を提供するのは俺だけなのだから。
周囲を見渡すと、吉田さんも香川さんも、どこか心配そうな表情を浮かべていた。
……やるしかないか。
実習用の服に着替える。
白いTシャツに、白い短パン。
この格好をするたびに、小学校の頃の体操着を思い出して、なんとも言えない恥ずかしさを感じる。
とはいえ、これは女子も同じだ。俺だけが恥ずかしいわけじゃないから、文句を言える立場でもない。
……いや、むしろ女子の方がよっぽど恥ずかしいだろう。
体のラインははっきり出るし、角度によっては短パンの隙間から下着が見えることすらある。
正直、目のやり場に困る。
もちろん、嬉しくないわけじゃない。
でも、少しでも反応してしまったら……それこそ全女子を敵に回すことになる。
男が少ない環境ってのは、本当に気苦労が絶えない。
着替えを終え、診察用のベッドの上で座って待っていた。
まさに——まな板の上の鯉、という言葉がぴったりだった。
すると、ドアがガチャリと開く音がして、先生を先頭に女子たちがぞろぞろと入ってきた。
……やはり、先生も女性だった。
もしここに男性の先生が一人でもいれば、少しは心強かったかもしれない。でも、現実は甘くない。先生を含めて、目の前には9人の女性。
——これは、厳しい戦いになりそうだ。
そんなことを考えていると、吉田さんと香川さんが前に出てきた。
「今日はよろしくお願いします。」
二人そろって、ぺこりと頭を下げる。
香川さんはやや控えめな性格で、これまでの実習が少し足りていないらしい。今回は、その補填も兼ねているようだ。
「お手やわらかにお願いします。」
そう答えておいた。
いよいよ、実習が始まる。
まずは、香川さんから始めるようだ。
彼女は俺の腕をそっと取り、肩の可動域を確認する動作に入る。
「やっぱり、男性の体ってがっちりしてるんですね。」
香川さんは同級生だが、なぜかいつも敬語を使って話してくる。
男に触れることに特別な抵抗はないようで、実習はおおむねスムーズに進んでいく。
だが——ひとつ、問題があった。
彼女は、胸が大きい。
腕を持ったり、体を押したりするたびに、無意識なのだろうが、その柔らかい膨らみが触れてしまう。
意識するな。意識するな。
何度も心の中でそう叫ぶが、理性とは裏腹に、意識はそちらへと引き寄せられていく。
……恐ろしい凶器を持った女性であった。
幸せな地獄のような時間をなんとか乗り切り、香川さんによる上半身の実習は終了した。
続いては——吉田さんの番である。
彼女はやはり、おっかなびっくりといった様子で、俺の体にそっと触れてくる。
……それでも、昔に比べればだいぶ進歩している。
最初の頃は、俺の腕に触れられないまま、ぽろぽろと涙をこぼしてしまったこともあった。その時はさすがにショックだった。俺ってそこまで嫌われてるのか、と。
あとになって、別の女子から「吉田さんは男性が苦手なんだよ」と聞かされて、ようやく合点がいった。
正直、その時はホッとした。
それと同時に、彼女のことが少し気になるようになったのも、その頃からだった。
ちらりと吉田さんの顔を見る。
大した動作でもないのに、うっすらと汗をかいている。
(がんばれ……)
心の中でエールを送っていた、まさにその時だった。
先生が、やや厳しい口調で声をかけた。
「吉田さん、患者さんの半分以上は男性ですよ? そんなビクビクしてたら、相手にだって失礼でしょう?」
「古川君みたいに、知ってる人ばかりとは限らないんですからね。」
……ちなみに、今さらだけど“古川”というのが俺の名字だ。
先生の言っていることは正論だ。今後、吉田さんもきっと多くの男性患者を担当することになる。そのたびにこんな様子では、相手の気分を害しかねない。
「はい……がんばります!」
吉田さんは少し歯を食いしばるようにして答えた。周囲の女子たちも「がんばって!」と声をかける。
けれど、なかなか動きは良くならなかった。
先生がため息まじりに言う。
「……ふぅ。仕方ないわね。古川君、ちょっとシャツ脱いでもらえる?」
……は?
「えっと、なんで……ですか?」
「吉田さん、少し“男性”を意識しすぎているみたいですね。幸い、あなたとは気心も知れてるようだし……男性慣れするための協力をしてあげてください。」
なんという暴論。
女性9人の前で、たとえ上半身だけとはいえ、裸になれと?
視線が一斉に集まり、場の空気が一瞬だけ静まり返った。
「……ごめんなさい。」
ぽつりと、吉田さんが呟いた。
それを聞いた瞬間、もう決意は固まった。
ここで尻込みするようじゃ、男がすたる。
「……わかりました。」
覚悟を決めて、シャツの裾に手をかけ、静かに脱いだ。
その瞬間——
周囲の女子から、「おお……」と、少しだけ小さな歓声が上がった。
すると一人の女子が手を挙げる。
「あの……筋肉とか、少し触ってもいいですか?」
先生がふむと少し考え、俺の方を見る。
「古川君、どう?」
俺は一度だけ小さくうなずいて、答えた。
「……どうぞ。」
数人の女子が前に出てくる。
肩や腕を軽く押したり、腕を持ち上げて動かしたり、鎖骨や胸郭のあたりを確認するようにそっと手を添えたり。
触れ方はどれも丁寧で、力加減も抑えられていた。
肌に指先が触れるたび、くすぐったさと少しの緊張が入り混じる。
そのとき、俺の隣にいた女子が、吉田さんの方を振り返って声をかけた。
「ほら、吉田さんも触ってみなよ。古川君なら大丈夫でしょ?」
吉田さんは一瞬だけ目を丸くしたあと、小さく笑って「うん」とうなずいた。
みんなが吉田さんのことを考えて、自然に動いてくれている。
そんなふうに感じられる空気だった。
先ほどまでとは打って変わって、しっかりと触れてくる吉田さん。
みんなの気持ちを受け取ったのだろう。
うっすらと笑顔を浮かべているようにも感じた。
――良いクラスだな、本当にそう思った。
「はい、吉田さん、今までで一番良かったです。あとは、これが他の男性にもできるかですね。」
先生の言葉に、小さく拍手が起こる。
吉田さんは照れくさそうに一歩下がった。
だが、本当の鬼門はここからだった。
そう、下半身だ。
香川さんが手を挙げ、先生の合図で股関節のチェックに入る。
俺は仰向けになり、香川さんは静かに俺の脚を持ち上げると、開排や屈曲といった基本的な動きを確認していく。
片手は太ももの付け根、鼠径部近くに添えられ、関節の動きにあわせて角度や抵抗を測っているようだった。
いつもより距離が近いせいか、彼女の胸元が少しだけ開いているのが視界に入る。
谷間が見えそうなラインに目が向かいそうになり、慌てて視線を天井へ戻した。
香川さんは何事もなかったように淡々と進めていく。
指の動きも、力加減も落ち着いていて、経験値の高さがうかがえる。
技術と知識はあるのに、実践が足りなかった故の今回の実習なんだなと思わせる動きだった。
やがて一通りの確認が終わると、軽く頭を下げて引き下がった。
特に指摘もなく、無事に終えられたことに少しだけ安心する。
そして、吉田さんの番である。
どうやら吉田さんは、上半身よりも下半身の方が苦手なようだった。
女性相手にはしっかりできるのに、男性が相手になると、とたんに動きがぎこちなくなる。
先生も何度も、「女性と同じですよ」と声をかけていたが、それでもなかなか手が動かないようだった。
骨盤の位置や角度も、男性と女性とでは違いがあり、その点にも戸惑っているように見えた。
「……仕方ないわね。古川君。」
その言い方で、なんとなく先生が“あの判断”を下そうとしているのが伝わってくる。
恐らく——死の宣告だ。
今すぐ逃げ出したい気持ちもあるが、そうはいかなかった。
吉田さんの目に、うっすらと涙が浮かんでいるのが見えてしまったからだ。
先生が何かを言うより早く、俺は言葉を発していた。
「……パンツ脱いだ方が、わかりやすいですよね?」
なるべく動揺を見せないように、明るく笑いながら言った。
その場が、少しざわっとした。
まわりの女の子たちが顔を見合わせている。
多分——俺のなら、見てもそこまで怖がらないと思うから。
「本当にいいの?」
先生が確認してくる。
「はい。ここまで来たら、いくところまでいきましょう。」
そう答えて、俺は短パンとパンツを一気に下ろした。
プルッと、それがみんなの前に出された。
お世辞にも大きいとは言えず、しっかり皮も被っていた。
笑われるかな、と思った。
でも——誰も笑わなかった。
その代わり、じっくりと見ていた。
おとなしい香川さんですら、まじまじと見ていたのが印象的だった。
一方、吉田さんはというと、顔を両手で覆ってしまい、どうしても見ることができないようだった。
そんな吉田さんの様子を見たクラスメイトが、静かに声をかける。
「ほら、古川君が恥ずかしいのにがんばって出してくれたんだよ? あなたが答えないでどうするの?」
そう言って、そっと肩を叩く。
さらにその子は、耳元で小さくささやいた。
「すごく小さいから、怖くないよ。大丈夫大丈夫。」
……うん、聞こえていますよ?
わかってはいたけどさ……。
まわりの女子たちから、ひそひそとした声が聞こえてくる。
とはいえ、声量は思っているより全然小さくない。
「確かに、ちょっと小さいね。」
「ね、なんかぷらんってしてる……。」
「先っぽも出てないしね。包まれてる……あれ、皮だよね?」
「うん。ああいうの、包茎って言うのよ。私、実物では初めて見た。」
「私も。でも前の彼氏もあんな感じだったかな。もうちょっと大きかったけど。」
ちらっとこっちを見て、すぐにまたヒソヒソと話し続ける。
「ていうか、ああいうのって普通?Hの時どうなるの?」
「んー、エッチの前に剥くんだよ。自分で剥いてからゴムつけるし。」
「そっか……。私、ちゃんと見たことなかったから、こんな風になってるんだって思った……。」
頬に手を添えて小声で話す女子。
その隣では、腕を組んだままじーっと見てる子もいる。
「みんな、当たり前に見たことあるんだね……。私、初めて……。」
「私も。ていうかさ、正直これくらいが普通なんじゃない? 雑誌とかネットのは盛ってるっぽいし。」
「うんうん。あれの大きいのとか怖いし……あれで突っ込まれるの想像したら無理……。」
「でもさ、だからって小さい方が良いってわけでもなくない?」
「それな。大きくなくても、ちゃんと使えるならいいけど……」
言葉の一つひとつが、遠慮も躊躇もなく突き刺さってくる。
“本人がそこにいる”という事実を、完全に忘れているかのようなトーンだった。
ちらっと横を見ると、おとなしい香川さんまで、首をかしげながら見つめていた。
表情は真面目なのが逆にじわじわ来る。
吉田さんはといえば、まだ顔を手で覆ったままだ。
だけどその手の隙間から、うっすらとこちらをのぞいている気配もあった。
気がつけば、完全に「観察会」ではなく、「品評会」になっていた。
そんな中、先生の声が響く。
「はいはい! そんなに見ないの! 患者さんのそこも、そんなにじっくり見て品評するつもりですか?」
思わずほっと息が漏れた。
助かった……。でも同時に、ほんの少しだけ——がっかりした気もする。
いやいや、俺は変態じゃない。……はず。
吉田さんも、ようやく覚悟を決めたようだった。
手で覆っていた顔を下ろし、頬を真っ赤にしながら、こちらをじっと見つめてくる。
そして、小さく呟いた。
「うん、これなら怖くない。がんばろう。」
……そうか。
男性が苦手な子でも、これは大丈夫なくらい小さいのか。
なんとなく、息子と一緒にしょぼんとする気持ちになった。
すると、その場にいた香川さんが、そっと俺の肩を叩いた。
「私は、かわいくて良いと思いますよ。自信持ってください。」
それが本当に励ましなのか、それとも刺しに来ているのかは、正直わからなかった。
「……ありがとう。」
喉の奥から、なんとか声を絞り出すようにして言った。
吉田さんによる股関節と骨盤の触診が始まった。
「今回は、私の指示で行ってください。」
恐らく、自分が裸であることに対する配慮なのだろう。
一応タオルは掛けられているが、ずれないように慎重に掛けられたそれは、露出こそしていないものの、非常に心許ない。
「はい。では皆さん、股関節の触診は“位置を正確に把握すること”が大切です。鼠径部のライン……ここですね。指を当てて、動きに合わせてゆっくり確認してください。」
先生が指し示したのは、タオルの端にごく近い位置だった。
吉田さんが前に出て、先生の指示通りに膝を持ち上げる。
もう片手は、ゆっくりと太ももの付け根へと伸びていく。
指が慎重に、迷いながらも進んでくるのがわかる。
距離が近づくにつれ、俺も無意識に呼吸が浅くなっていた。
(ちょっと近くないか?当たらないようにしないとな……。)
なんとか冷静を装うが、タオル一枚を隔てたやり取りは、どうしても意識せずにはいられなかった。
「では、今度は脚をゆっくり外に開いていってください。」
先生の声にあわせて、吉田さんが俺の膝を持って軽く開いていく。
太ももがタオルを押し上げる。端が少し浮きかけるが、ギリギリ保たれている。
「鼠径部、ここですね……。力を抜いて、少し動かします。」
吉田さんの指が、太ももの付け根――鼠径部と呼ばれるあたりをゆっくりなぞっていく。
その手が、震えているのがわかる。
「……ちょっとくすぐったいです。」
素直に伝えると、吉田さんが「す、すみません……」と顔を赤らめた。
先生がすぐにフォローを入れる。
「力が入ってしまうと、正しく触れません。やりづらいとは思いますが、患者さんがリラックスできるよう、落ち着いてゆっくり行ってください。」
再び吉田さんの手が動き出す。
震えは収まっていた。
今度は、覚悟を決めたような、少しだけ凛とした指先だった。
(……さっきよりも、ちゃんと触れてきてる。)
触れているのは指先だけのはずなのに、まるで肌の温度が直に伝わってくるような感覚。
タオル一枚の距離が、やけに遠くもあり、近くもある。
「はい、可動域は問題なさそうです。」
そう先生が告げると、吉田さんは一歩下がって深く息を吐いた。
「お疲れ様です。じゃあ次は骨盤の評価に進みますね。」
再び吉田さんが前に出る。
「骨盤は左右の高さを確認します。両手を骨盤に当てて、歪みがないか確認してください。」
そう言って先生が自分の骨盤を軽く叩いた。
吉田さんは俺の両脇腹に手を回すようにして、骨盤を探る。
ちょうどタオルの横から手が差し込まれるような形になる。
「……失礼します。」
低く抑えた声と共に、両手が骨盤にそっと当たった。
タオルの中、手の甲が腹に触れそうになる。
そのたびに、こっちの筋肉がぴくっと反応してしまう。
「ちょっと緊張されてますね……。」
吉田さんが、申し訳なさそうに笑った。
「そりゃそうですよ……。」
小さく苦笑いで返すと、周囲からもくすくすと笑いが漏れた。
和やかな空気。けれど、羞恥はじんわりと残っている。
タオルの奥、何かがずっと意識に引っかかっていた。
タオルの上からではやはりやりづらいようだった。
吉田さんの手が止まっているのを見て、思わず声をかけた。
「吉田さん、タオルどけていいよ。やりづらそうだし。」
「……ごめんね、ありがとう。」
吉田さんはそう言って、そっとタオルを横に置いた。
一瞬で空気が変わった。
さっきも見ていたはずなのに、再び全員の視線が集まった。
静かに「おお…」と小さな声が上がる。
膝が上げられるたび、下からの角度で裏側まで見えてしまっていた。
「…やっぱ、全部丸見えだね…。」
「うわ、今の角度、裏まで見えたよ…。」
「ほんとに…剥けてないんだね。」
「正面より今の方が…なんか、生々しい…。」
そんな声が周囲から小さく聞こえてくる。
中にはそっとこんなことを言う子もいた。
「…自分だったら、あんな堂々と絶対できないよ…。」
「動かされるたびに全部見えちゃうなんて、無理…。」
それでも、吉田さんは顔を真っ赤にしながらも手を止めることなく、丁寧に動かしていた。
吉田さんの手が慎重にこちらの股関節へと伸びてくる。
指先が触れた瞬間、ビクリと身体が反応したのを自分でも感じた。
その動きに気づいたのか、吉田さんがわずかに手を止める。
けれど、やがて決意を込めた表情で再び前へ出ると、
先生の指示通りに脚を持ち上げ、骨盤まわりを探るように手を当てていく。
まずい、と思ったのはその手がほんの少し内側へ寄ったときだった。
さっきまで平静を保っていた身体が、まるで意思を持ったかのように反応していく。
それを見ている吉田さんの目が、徐々に見開かれていくのがわかった。
もう止まらなかった。
身体の奥から湧き上がる熱。
それは羞恥とも、興奮ともつかない、どうしようもない感覚だった。
自分でも信じられない速さで、それは姿を変えていく。
まわりからも声がする。
「あれは…仕方ないよね…。」
「良くここまでがんばったとも言えるよね。」
「あんなになるんだ…。」
「お、大きくなった…。」
「…まぁ小さいことには変わりないけどね。」
「先っぽちょっと出てきているね。」
「……ちょっと、目のやり場に困る……。」
それぞれの言葉に悪意はない。
けれど、その一つひとつが、胸の奥にじわりと刺さっていく。
羞恥なのか、屈辱なのか、それとも別の何かなのか。
わからないまま、俺はただ静かに息を吐いた。
吉田さんは完全に固まっていた。
顔は真っ赤で、目を逸らすこともできないまま凝視している。
それでも逃げない。怯えるように立ち尽くしている。
その様子を見て、逆にこちらがいたたまれなくなった。
どうしても口から出てしまう。
「…吉田さん、ごめん…。」
それを聞いた吉田さんが、ハッとしたように肩を揺らし、慌てて視線を外した。
そしてかすれた声で言う。
「いえ、ごめんね。私のせいで恥ずかしい思いをさせちゃってるんだよね…。」
その言葉は、思いがけない優しさだった。
羞恥の中に、わずかな救いが差し込んだ気がした。
吉田さんは慎重だった。
先生の指示を一つひとつ丁寧に確認しながら、手順どおりに進めていく。
そして、深く息を吸ってから、そっと声をかけた。
「膝を、もう少し胸の方に近づけますね。…股関節の可動域を確認します。」
ゆっくりと両手が動き、片膝を丁寧に抱えるようにして持ち上げる。
太ももが胸に近づくにつれて、自然と脚の付け根があらわになり、その動きに合わせるように、吉田さんの指が股関節の内側へと添えられていく。
「このあたりですね…すみません、少し力を入れます。」
柔らかく、それでいて躊躇のない圧がかかった。
彼女の手のひらが、太ももの付け根――下腹部と鼠径部の境目あたりを押し込む。
皮膚の上からとはいえ、そこは反応しやすい神経の密集地帯。
しかも、さっきまでの一連の視線や会話で火照っていた体が、ようやく落ち着きかけていたところだった。
(まずい…)
思考よりも早く、身体が反応する。
押し込まれた瞬間、腰がビクンと跳ね上がり、喉の奥がひくついた。
「っ……!」
自分でもわかる。これは、もう止められない。
ぐっと奥からこみ上げてくる、熱の波。
下腹部に集まっていた感覚が一気に臨界を超え、突き上げるようにして放たれた。
ぴくん、と大きく一度だけ跳ねたあと、白濁が溢れ出す。
「えっ…あっ、ご、ごめん…!」
吉田さんが驚いて手を引っ込めた。
こちらも何か言わなければと思うのに、口が動かない。
視界の端で、先生が何かを言いかけて止まったのが見えた。
場の空気が急速に静まり、クラス全体が息を呑んでいるのが伝わる。
「…い、今のって…私、そんな…ごめんなさい…!」
目を見開き、言葉にならない声で謝る吉田さん。
その声には、驚きと動揺、そして責任を感じている気配が混ざっていた。
しん…と静まり返った一瞬。
ざわ…ざわ…
小さなざわめきが、教室全体に広がっていく。
けれど、それは決して嘲笑でも、冷たい好奇心でもなかった。
「…あれは…生理現象だしね…」
「ここまでよく我慢してたとも言えるよ。」
「そんなつもりじゃなかったんだしね…」
囁くような声が、いくつか耳に届く。
彼らの表情は戸惑いと、どこか同情にも似た色で満ちていた。
先生が静かに前に出てきた。
だが叱責の言葉はなく、むしろ落ち着いた声で、そっとその場を仕切る。
「一度、休憩を取りましょうか。気持ちを整えてから再開しましょう。」
それだけを告げると、先生は周囲に目配せしながら、無言で皆に促した。
数人の生徒が濡れたタオルを持ってくる。
それで俺の周辺を拭こうとしたところで、吉田さんが一歩前に出て遮った。
「ごめんね、私が拭くわ。」
そう言ってタオルを受け取る。
誰一人騒ぐこともなければ、慌てることもない。
さすがはリハビリ科とでも言うべきか、処理は冷静に、着実に進んでいく。
「私のせいよね。今、キレイにするからね。」
そう言いながら、吉田さんは僕のそれを丁寧に清拭していった。
あの“男が苦手”だった吉田さんが、今は迷いなく手を動かしている。
結果的に荒療治にはなったが、どうやら一つ壁を乗り越えたようだった。
「あ、あの…これ、先って剥いた方がいいのかな?」
おずおずとした声で、吉田さんが尋ねてくる。
「お、おう。出来れば剥いた方がいいけど…無理はしなくていいと思うよ。」
いくら壁を越えたとはいえ、嫌なものは嫌なはずだ。
ましてや、好きでもない男のそれを触り続けるなんて――。
「ふふ、なんか見慣れちゃった。かわいいかも。」
柔らかな声で、吉田さんが呟く。
そこへ割って入ってきたのは、香川さんだった。
「そうですよね。やっぱりかわいいですよね。」
冗談めかして言いながら、こちらを覗き込む。
「ダメですよ、授業中にラブラブな空間作り出しちゃ。」
いや、ラブラブな空間なんて…そんなわけ――と思いながら周囲を見渡すと、
クラスの視線が集まっていることに気づいた。
優しい目を向ける者もいれば、どこか羨ましげに見ている者もいる。
「ち、ちがうわよ! 別に変なことは…!」
「はいはい、いいから続きやりなさい。いつまでも彼氏のちんちん出しっぱなしじゃ可哀想よ。」
「だから!そんなんじゃないってば!」
みんなの笑い声が教室中に響いた。
恥ずかしい思いはしたが――いや、している最中ではあるけれど――
吉田さんは、きっともう大丈夫だろう。
…しばらく、からかわれるのは覚悟しないといけなさそうだけど。
エピローグ
「で、お前たちはなんでそんなにくっついてるんだ?」
流行病から舞い戻ってきた山田は、俺と吉田さんの距離感に気づいたようだった。
「別に何もないけどな?」
「うん、何もないよ?」
以前のような一定の距離はすっかりなくなり、今ではほとんどゼロに近い。
「くそ、俺が休んだ日のこと、誰に聞いても何も教えてくれないし…なんなんだよ。」
「あまり詮索するものではありませんよ?」
横から香川さんがさらっと口を挟む。
「香川さんのこともだよ! なんでしれっと俺たちのテーブルにいるの?」
そう、あれ以来――香川さんも自然と一緒につるむようになっていた。
おとなしく見えて、芯の通った、意外と面白い子だった。
「私…邪魔ですか…?」
泣いたフリをして、香川さんが目元を押さえる。
「あ、泣かせた。」
「うわ、山田くん、いじめた。」
「違うよ! そうじゃないよ! でも…ごめんなさい!プリン食べますか!?」
そのやり取りに、場が笑いに包まれた。
「くそ、俺も彼女欲しいぞ…。」
「まだ付き合ってるわけじゃないけどな。」
「まだ!?」
笑い声がもう一度響く。
END


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